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東日本大震災から4年

2015年3月11日(水)14時現在の各紙サイトより

国内主要紙一面トップ記事、及び社説・主張

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【朝日新聞】
「朝刊一面トップ」
『復興へ光を 東日本大震災きょう4年 避難23万人・災害住宅整備15%』
「社説」
『福島の復興 住民の選択いかす政策を』

【産経新聞】
「朝刊一面トップ」
『東日本大震災4年 記憶新たに 再生への誓い 首相「夏までに新支援枠組み」』
「主張」
『大震災4年 鎮魂と我が命守るために 被災の記憶を心に刻もう』

【東京新聞】
「朝刊一面トップ」
『復興 途切れ途切れ 高度9000メートルから国道6号を望む』
「社説」
『東日本大震災4年 原発のまちに未来図を』

【日経新聞】
「朝刊一面トップ」
『日本生命7年ぶり増配 15年3月期方針、720万人に総額30億円』
「社説」
『被災者自立へ細やかな復興支援を』

【毎日新聞】
「朝刊一面トップ」
『大震災4年 過労で亡くなった外科医の父の遺志 かなえる』
「社説」
『東日本大震災4年 復興に関わり続けよう』

【読売新聞】
「朝刊一面トップ」
『東日本大震災4年 防潮堤37%未着工 被災3県 完成8%の』
「社説」
『大震災4年 優先度を見極めて復興進めよ』


きょうの注目記事

福島県で最も読まれている地方紙「福島民報」の本日付論説、
『次代担う人材育成「福島生まれ」を誇りに』をご紹介します。

『東日本大震災から丸4年となる。東京電力福島第一原発事故による除染廃棄物
の中間貯蔵施設搬入が決まり、常磐自動車道も全線開通し、ようやく復興への
動きが見え始めた。』

『一方で依然11万人以上の県民が避難を余儀なくされ、廃炉作業の鍵を握る
汚染水対策はトラブルが相次ぐ。県内には光と影が混在しており、少しでも
光を増やす取り組みが求められる。』

『光の最たるものは、強い意志と決意を持った子どもたちの存在だ。子ども
たちの夢、希望をかなえることが復興につながると肝に銘じたい。』

『教育復興に向けて、県立中高一貫校のふたば未来学園高が来月、広野町に
開校する。大学進学を目指す「アカデミック」、スポーツ選手を育成する
「トップアスリート」、幅広い職業人を育てる「スペシャリスト」の3系列を
設置する。充実した教育内容に期待する。』

『受験者が定員を大きく上回ったことが、何よりうれしい。急きょ定員を志望
者数と同数に引き上げた県教委の英断に拍手を送る。』

『南相馬市の小高工高と小高商高が平成29年4月をめどに統合するのも明るい
ニュースだ。新設校には再生可能エネルギーやロボット産業などの先端技術を
学ぶ産業革新科を設ける。福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)
構想を推進する力になるのは間違いない。』

『厳しい状況の中、浜通り地方で学ぶ子どもたちのために、しっかりとした
教育をすることが重要になる。学校任せにせず、行政や企業、地域が連携して
応援したい。』

『弊社が震災翌年の平成24年から実施している「ふくしま復興大使」派遣
事業に参加した子どもたちは実に頼もしい。派遣事業から戻った高校生らは
「将来は先生になる。福島に戻って、学ぶことの大切さを伝える」「リハビリ
の専門学校に進んで、避難生活を送る人の役に立つ」などの決意を語り、実際
にその道を歩んでいる。』

『県教委は新年度、小中高生が県内外で社会活動に参加する際の費用を一部
補助する。子どもたちの復興に懸ける思いを後押しする。時宜を得た取り組みだ。』

『内堀雅雄知事は弊社の発災4年に関するインタビューで「子どもたちが福島
に生まれ、育って良かったと思えるようにしたい」と力を込めた。将来「どこ
の生まれ」と聞かれたとき、「福島県の生まれです」と誇りを持って堂々と
言えるようにするのが、今を生きる大人の責任だ。そのためにも、それぞれの
立場で少しでも前進を続けることを心に誓う。』


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東日本大震災から、ちょうど4年が経ちます。

福島ですから、きょうは当然原発の話題だと思っていたのですが、そうでは
ありませんでした。

震災の悲惨さ、辛さ、苦しさを伝える報道が多くある中、子どもたちに焦点を
あてた前向きな論説に、胸が熱くなります。


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今回は、お休みします


編集後記

2年前に、宮城県の南三陸町を訪れたことがあります。

旅行先に選んだ理由は主に2つありました。
1つは、どうせ旅行するなら多少なりとも被災地に経済的貢献ができるように
ということ。
もう1つは、当時小学6年だった愚息に、被災地の状況を見せたかったからと
いうことでした。

当初、「よそ者が興味本位で訪れたら失礼なんじゃないか...」などと迷ったり
もしたのですが、現地のホテルが「震災を風化させないために」と主催して
いる"語り部バス"というのがあることを知り、訪れることにしたのです。

当時で、既に震災から2年が経過していましたが、このとおりほとんど変わって
いませんでした。
minamisanriku3.JPG

こうしたところには街があって、家があって、人がいたんです。
私たちが家の玄関を開けて目にする光景と同じような景色が、ここには広がって
いたはずなんですね。

商店街の中心部だったところも、そこかしこに「きりこ」と呼ばれる南三陸伝統
の白い板が立てられていることで、かろうじてそこが昔商店街だったということ
が偲ばれますが、何もありませんでした。
minamisanriku1.JPG

今は、もっと復興しているのでしょうか。


有名な防災対策庁舎を訪れたときのこと。
みんなが庁舎を見上げたり庁舎の写真を撮ったりしている中、ひとり息子だけ
が地面を写真に撮っていました。

何を撮っていたのかあとで見せてもらったところ、折れ曲がった鉄のボルトや
鉄骨といった被写体がありました。

彼は、そこに津波の破壊力を感じたのでしょう。


息子が被災地を見てどう感じたのか、あえて聞きませんでしたし、どんな感想
を持つかは本人の自由だと思います。

ただ、彼がそこで何かを感じ、それが次の世代に伝わっていったとしたらいい
のですが...。

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