裁判員制度開始について
【国内主要6紙の本日の社説】
2009年5月20日
(以下、掲載順は日々変更)【東京新聞】
『不正郵便 『親方日の丸』の一掃を』
『スリランカ 武力だけでは和平来ぬ』
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【日経新聞】
『国民の権利と感じられる裁判員制度に』
『大手銀に変革迫る赤字決算』
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【毎日新聞】
『裁判員制度 お上意識脱却の機会に』
『日本郵便幹部逮捕 不正許した責任は重い』
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【読売新聞】
『大手銀行決算 赤字転落からどう巻き返す』
『漢字検定協会 「私腹」に入った捜査のメス』
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【朝日新聞】
『裁判員スタート 新しい司法を国民の手で』
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【産経新聞】
『裁判員制度 「公の精神」取り戻そう 円滑な運用と検証の徹底を』
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独断と偏見はご容赦!【最近の社説の、ここに注目】
裁判員制度開始について書かれた社説を見てみる。
裁判員制度が明日から始まる。
「実際の裁判は7月下旬に始まる」との表現が多い中、毎日紙の、
『先月末以降の逮捕者から対象事件の被告が出るはずなので、制度は既に始動していると言うべきかもしれない』
の一節は、独特だ。
産経紙の、
『ともすれば「自己本位」と批判される日本人が「公の精神」を取り戻す好機にしたい』
『日本人の公共意識をさらに高めていく機会につなげていきたい』
の一節は、産経らしい考え方だ。
産経紙の『国民の社会常識』、及び毎日紙の『健全な市民の常識』という部分。
個人的には、少し心配だ。
以前から何度か書いていることだが、「国民・市民」は、各種マスコミからも当該裁判に関係する情報を得ることになる。
当然その情報には、各マスコミの価値観が反映されている。
光市の母子殺害事件がいい例だ。
私もこの被告には激しい憤りを感じるし、死刑で当然とも思う。
しかし、こうした感情は全て、マスコミ報道により生じたものだ。
死刑賛成論者と反対論者の主張を同等に取り上げているとは思えないし、「死刑で当然」という価値観ありきで番組が構成されているように思えてならない。
『国民の社会常識』或いは『健全な市民の常識』ではなく、「マスコミの価値観」が裁判に反映されてしまうことを危惧する。
毎日紙の、
『残虐な写真の扱いなどをめぐって早くも問題点が指摘されている』
の一節。
東京・江東区における殺人事件の裁判の際にも、正視に堪えない画像・映像が使われたと聞く。
個人的には、これが一番嫌なところだ。
今日の雑感
裁判員制度。
被告人や被害者が、親族等ではない単なる知り合い程度の場合なら、参加することになるようです。
どうなんでしょう?
特に、「性被害」の場合など。
日経紙のように、「守秘義務はいらない」との論調もあります。
いろいろ試行錯誤が続くことになるのでしょうか。
【本日、あなたが最も共感しなかった社説は?】
2009年5月20日
締切:2009年05月21日22時00分Powered By クリックアンケート